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長崎地方裁判所 昭和32年(ワ)3号 判決

原告 株式会社十八銀行

被告 平石義男

主文

一、原告の請求は、之を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、

被告は、原告に対し、金百八万七千六百十円、及び内金三十五万円に対する昭和三十一年五月八日から、内金二十万円に対する昭和三十一年五月十一日から、内金十八万七千六百十円に対する昭和三十一年五月二十六日から、内金三十五万円に対する昭和三十一年六月十九日から、夫々、その支払済に至るまでの、金百円について一日金五銭の割合による金員を支払はなければならない、訴訟費用は被告の負担とする旨の判決を求め、その請求の原因として、

一、原告は、訴外合名会社田中福一郎商店と、昭和二十八年十二月十八日、手形を担保として為す貸付金の極度額を金百七十万円とする手形取引約定を締結し、同時に、右訴外会社は、原告に対し、右約定に基く借受金に対しては、借受の都度原告の指定する割合によつて、借受を為した日から、その担保となした手形の支払期日までの利息を支払い、且つ、その手形の支払期日にその支払をしなかつたときは、その借受金に対し、爾後、金百円について一日金五銭の割合による損害金を支払ふ旨の特約を為し、同日、被告は、原告に対し、右訴外会社の為め、同訴外会社の原告に対する右契約に基く債務について、その締結の日から五ケ年間を限り、連帯保証人として、連帯保証債務を負担する旨を約した。

二、而して、原告は、前記契約に基いて、前記訴外会社に対し、

(1)  昭和三十一年四月七日、同日、同訴外会社及び訴外田中福一郎の共同振出に係る額面金三十五万円、支払期日同年五月七日なる約束手形一通を担保として、金三十五万円を、利息は、金百円について一日金三銭五厘の割合による約定で、

(2)  同年三月十二日、同日、右両名の共同振出に係る額面金二十万円、支払期日同年五月十日なる約束手形一通を担保として、金二十万円を、利息は、右(1) の割合と同一の割合による約定で、

(3)  同年三月二十七日、同日、右両名の共同振出に係る額面金二十七万円、支払期日同年五月二十五日なる約束手形一通を担保として、金二十七万円を、利息は右(1) の割合と同一の割合による約定で、

(4)  同年四月十九日、同日、前記訴外会社振出に係る額面金三十五万円、支払期日同年六月十八日なる約束手形一通を担保として、金三十五万円を、利息は、右(1) の割合と同一の割合による約定で、

各貸付けた。

三、然るところ、前記訴外会社は、前記(3) の貸付元金に対する内入支払として、金八万二千三百九十円の支払を為したのみで、その余は、右各手形の支払期日が到来しても、孰れも、その支払をしないで居る。

四、仍て、連帯保証人たる被告に対し、前記(1) の貸付元金三十五万円、同(2) の貸付元金二十万円、同(3) の貸付元金残額金十八万七千六百十円、同(4) の貸付元金三十五万円、合計金百八万七千六百十円、及び右(1) の貸付元金三十五万円に対する前記(1) の手形の支払期日の翌日たる昭和三十一年五月八日から、同(2) の貸付元金二十万円に対する前記(2) の手形の支払期日の翌日たる同年五月十一日から、同(3) の貸付元金残額金十八万七千六百十円に対する前記(3) の手形の支払期日の翌日たる同年五月二十六日から、同(4) の貸付元金三十五万円に対する前記(4) の手形の支払期日の翌日たる同年六月十九日から、夫々、その支払済に至るまでの、前記約定による金百円について一日金五銭の割合による損害金の支払を求める為め、本訴請求に及んだ次第である。

と述べ、

被告の主張に対し、

一、被告主張の事実は、前記連帯保証が、書面による意思表示に基いて為されたものであるとの点を除き、全部、之を争ふ。

二、前記連帯保証が、書面による意思表示に基いて為されたものであることは、之を争はない。併しながら、被告は、右書面に記載の文意を了承確認の上、自ら、之に、署名押印したものであるから、それは、被告によつて真正に作成されたものであり、又、それによる意思表示には、何等の錯誤もないものである。従つて、それが、偽造されたものであること、及びそれによる意思表示に錯誤のあることを理由とする被告の各主張は、孰れも、理由がない。

三、仮に、右書面に、白地の部分があつたとしても、被告は、その白地部分のあることを、知悉して居ながら、その補充を為し、若くは、その補充を為さしめることなくして、そのまゝ之を、前記訴外会社(代表者訴外田中福一郎)に交付し、以て、その行使を許容したのであるから、それは、右訴外会社に対し、右白地の部分を補充する権限を与へ、若くは、その補充を為すべきことを委任したに外ならないものである。而して、右訴外会社は、この権限に基いて、その補充を為したものであるから、右書面は、真正に成立したものであつて、而も、それによつて為された意思表示には、何等の錯誤もないから、右書面に白地の部分があつて、而も、それが右訴外会社によつて補充された事実があつたとしても、右書面によつて為された意思表示は、適法且有効である。故に、右書面が、偽造されたものであること、及び、それによる意思表示に錯誤のあることを理由とする被告の各主張は、孰れも、理由がない。

四、被告は、原告主張の通り、連帯保証を為したものであるから、金五万円の限度に於てのみ、その連帯保証を為したに過ぎないと云ふ様なことはあり得ないところである。

五、原告の本件権利の行使が、権利の濫用となる様な事情は、全然、存在しない。

仮に、被告主張の様な諸事情があつたとしても、それ等の事情は、被告が、本件債務を免れようとして、その口実とする為めに、列挙して居るに過ぎないものであるから、それ等の事情が存在すると云ふことだけでは、原告の本件権利の行使をして、権利の濫用たらしめる事情とはなし得ないものである。従つて、その様な事情が存在して居るからと云つて、原告の本件権利の行使が、権利の濫用となる様なことはないものである。故に、原告の本件権利の行使が、権利の濫用であると云ふ被告の主張は、理由がない。

と答え、

立証として、

甲第一号証、第二号証の一乃至四を提出し、

証人田中福一郎、松村信一の各証言を援用した。

被告は、

原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め、答弁として、

一、原告と訴外会社との間に、原告主張の契約が成立した事実、及び同訴外会社が、その契約に基いて、原告主張の債務を負担して居る事実は、共に、不知、被告が、同訴外会社の為め、右契約について、原告主張の連帯保証を為した事実は、之を否認する。

二、仮に、原告と右訴外会社との間に、原告主張の契約が成立し、之に基いて、同訴外会社が、原告主張の債務を負担して居り、且、右契約について、被告名義で、原告主張の連帯保証が為されて居るとすれば、その連帯保証は、書面による意思表示に基いて、為されたものであるところ、その書面は、何等の権限もない右訴外会社(代表者訴外田中福一郎)によつて、偽造されたものであるから、それによつて為された右意思表示は、被告に対し、何等の効力もなく、従つて、それに基いて為された、右連帯保証は、被告に対する関係に於ては、不成立に帰して居るものである。故に、それが、成立して居ることを前提とする原告の被告に対する本訴請求は、失当である。

三、仮に、右連帯保証が、成立して居るものとすれば、それが、書面によつて為されたものであることは、前記の通りであるところ、被告は、金五万円を限度とする債務についてのみ、その連帯保証を為す意思の下に、右書面を作成したものであるに拘らず、右書面には、金百七十万円を極度額として生ずる債務について、その連帯保証を為した様に記載されて居るのであるから、その意思表示には、錯誤があり、而も、その錯誤は、法律行為の要素についての錯誤であるから、右意思表示は、無効であり、従つて、之に基いて為された、前記連帯保証は、無効である。故に、それが、有効であることを前提とする、原告の本訴請求は、失当である。

四、仮に、右連帯保証が、有効であるとしても、被告は、金五万円の限度に於て、之を為したに過ぎないものであるから、本件債務に対しては、右の限度に於てのみ、連帯保証人としての義務を負ふに過ぎないものである。故に、本件債務全額について、連帯保証責任のあることを前提とする原告の本訴請求は、失当である。

五、(イ)、仮に、原告主張の極度額全部について、連帯保証が成立したとしても、被告に対し、本件債務全額の支払請求を為すことは、後記(ロ)に記載の理由によつて、権利の濫用となるから、被告に対し、本件債務全額の支払を求める、原告の本訴請求は、失当である。

(ロ)、被告に対し、右全額の支払請求を為すことが、権利の濫用となる理由は、以下に記載の諸事情あることによるものである。

即ち、

(1)  前記訴外会社が有した店舗及びその敷地は、優に、六百万円の価値を有し、同訴外会社は、之に、訴外株式会社親和銀行の為め、一番抵当権を、原告の為め、本件債権について、二番抵当権を設定して居たものであるところ、一番抵当権の被担保債権の額は、金三百万円前後、二番抵当権の被担保債権たる本件債権の額は、金百余万円であつたのであるから、一番抵当権者たる右訴外銀行が、その抵当権を実行した際、原告が、之に協力すれば、原告は、之によつて、その債権全額の、若くは、少くとも、その大部分の弁済を受け得た筈であつたに拘らず、その協力を為さずして、漫然、その競売を傍観し、徒らに、競買ブローカーの跳梁するに委せた結果、その弁済を得ることが出来なかつたのであるから、その弁済を得られなかつたことは、原告自身の怠慢に由来するものであり、従つて、その責任は、原告自身に於て、之を負ふべきが当然であつて、今に至つて、連帯保証人たるに過ぎない被告に対し、本件債務全額について、その責任を問ふが如きは、その責任を他人に転嫁するに等しく、明かに、不当な処置であるから、原告が、被告に対し、本件債務全額の支払を求めることは、許され得ないものである。

(2)  のみならず、被告が、前記書面による連帯保証を為すについては、原告は、貸付極度額及び遅延損害金算出の割合等を告げず、それ等に関する部分は、白地の儘で、約定書を、前記訴外会社(代表者訴外田中福一郎)に交付し、又、同訴外会社は、被告の署名押印を得たのみで、之を、原告方に持参し、原告の貸付係から、右極度額その他の白地部分の事項を聞き、その指示に基いて、その白地部分を記入補充して、之を、原告に手交した様な次第で、被告に於ては、右極度額その他の事項を知らず、又、原告は、被告が、その極度額その他の事項を知つて、連帯保証を為すや否やの点について、何等被告の意思を確めることなく、漫然、之を受領して、甚だしく疎略に取扱ひながら、借主たる前記訴外会社が、倒産するに及んで、俄かに、その態度を改め、前記約定書に、連帯保証人として、被告の署名押印あるの故を以て、被告に対し、連帯保証人たるの責任を問い、本件債務支払方の請求を厳にし、更に、本訴を提起して、その全額の支払請求を為すに至つたものであるから、その支払請求は、甚しく誠実を欠き、且、信義に肯るものであり、従つて、被告に対し、本訴によつて、その全額の支払請求を為すことは、不当であつて、許され得ないものである。

(3)  更に、被告方は、平石時計店なる商号を以て、時計商を営む長崎市随一の時計店の老舗であるが、敗戦の結果による社会状勢の変化によつて、商運傾き、僅かに、名ある老舗たるの納簾によつて、営業を続けて居るものであるところ、今、若し、本件の連帯保証責任を負うものとして、その執行を受けることがあるならば、店舗とその敷地以外に財産とてない被告にとつては、当然、廃業と一家離散の運命とが待ち受けて居るのみであることが明かであるに反し、地方一流銀行たる原告にとつては、百万円前後の金額の如きは、微々たる額であつて、それが、よし、回収不能に陥る様なことがあつたとしても、その存立には、殆んど、何等の影響をも及ぼす様なことのないものであるから、右の様な事情にある被告に対し、本件債務について、その連帯保証の責任を問い、以て、その全額の支払請求を為すが如きことは、社会通念に照し、明かに、不当であつて、従つて、被告に対し、その請求を為すことは、許され得ないものである。

(4)  以上の次第で、原告が、被告に対し、本件金員の支払請求を為すことは、許され得ないものであるから、本訴に於て、敢えて、その支払の請求を為すことは、権利の濫用となるものである。

と述べ、

立証として、

証人林田由太郎、川口和慧、白水一雄、佐々木次郎、山頭正利、西田正純、磯部実の各証言並に被告本人尋問の結果を援用し、甲第一号証は、被告の署名並にその名下の印影の成立のみを認め、その余の部分の成立は不知、同第二号証の一乃至四の各成立は、孰れも、不知と述べ、

尚、甲第一号証は、被告の署名並に印影の外は、訴外田中福一郎に於て、偽造したものであるから、真正の書面としての証拠価値はない旨附陳した。

当裁判所は、

職権で、証人田中福一郎の再尋問を為した。

理由

一、原告と訴外会社との間に於て、原告主張の日に、その主張の約定とその主張の特約と(以下、之を総称して、本件契約といふ)が為されたことは、証人田中福一郎(第一、二回を通じて)、同西田正純、同磯部実の各証言と、同証人等の証言によつて、右訴外会社の関係部分について、その成立を認め得る甲第一号証とを綜合して、之を認定することが出来る。

右認定を動かすに足りる証拠はない。

二、而して、右認定の事実と、本件契約の条項を記載した書面(本件手形取引約定書)たる甲第一号証の存在並にその記載と、当事者間に争のないところの、被告が、右書面に署名押印した事実と、証人田中福一郎(第一、二回を通じて)、同西田正純、同林田由太郎、同磯部実、同松村信一、同川口和慧、同佐々木次郎、同山頭正利、同白水一雄の各証言並に被告本人の供述と、弁論の全趣旨とを綜合すると、

(1)、前記訴外会社が、原告と、昭和二十五年頃から、貸付極度額を定めて、手形取引約定を締結し、之に基いて、継続して、原告から手形による貸付を受けて居たこと、及びその間、一、二回、その貸付極度額を増額したことがあること。

(2)、右約定は、手形取引約定書なる書面によつて、之を為し、貸付極度額の増額あるときは、その都度、新な手形取引約定書なる書面によつて、新に、その約定を締結し、又、その約定に対する連帯保証も、右と同様の方式によつて、之を為して居たこと。

(3)、右約定に対する連帯保証は、当初から、引続いて、前記訴外会社の代表者である訴外田中福一郎が、個人として、之を為して、居たこと。

(4)、その後、昭和二十八年十二月中旬頃に至り、右訴外会社は、年末資金の必要に迫られた結果、新に、金三十万円の融資を受けることとなり、その旨を原告に申入れたところ、原告は、前記約定による貸付極度額を、従前貸付済の金百四十万円に右金三十万円を加算した額たる金百七十万円に増額し、従前の方式に従つて、新な手形取引約定書による新な約定を締結し、且、従前の方式に従つて、従前の連帯保証人の外に、更に、一名の連常保証人を増加すれば、その申入に応ずる旨を申出たので、右訴外会社は、之を承諾し、右申出に従つて、その貸付を受けることとなり、その頃、原告から、貸付極度額、違約損害金算出の割合たる日歩、及び日附の部分が白地となつて居る新な手形取引約定書(本件手形取引約定書、即ち甲第一号証)の交付を受けて、之に署名押印したこと、及び増加すべき一名の連帯保証人は、被告に依頼し、同書面に、その連帯保証人としての署名押印を得て、右約定を締結することに決定し、その頃、被告に対し、その依頼を為したこと。

(5)、然るところ、右訴外会社の代表者訴外田中福一郎は、原告に差入れる約定書の如きものは、単に、形を整へるだけの書面であつて、現実に、手形に、被告の署名押印を得ない限り、被告に、連帯保証人としての責任は生じないし、又、仮令、現実に、手形に、その署名押印を得ても、右訴外会社に於て、その支払を為しさへすれば、約定書の如きものは、紙屑同然であつて、被告に迷惑を及ぼすが如きことはないのであるから、唯、形を整へるだけの意味で、連帯保証人として、右書面に被告の署名押印を得れば足りるものと思惟した結果、被告に対し、前記約定の連帯保証人となり、右書面に、連帯保証人としての署名押印を為すことの依頼を為すに付いては、被告に、真実の事実関係を告げ、その了解を得た上で、その承諾を得るといふ段階を経る必要はないものと思料し、前記事実関係は、全然、之を告げないで、被告に対し、唯、金五万円の借増をする必要が生じたから、連帯保証人になつて貰ひ度いとのみ申出でて、その依頼を為したこと、その為め、被告は、借増分の金五万円に対してのみ、連帯保証を為すものと誤信し、その結果、その程度の金額についての連帯保証ならば、之を為し得るものと思惟し、借増分の金五万円のみについて、連帯保証を為す旨決意し、前記訴件田中福一郎に対し、その申出の連帯保証人となる旨、及び借増分の金五万円のみについて、その連帯保証を為す旨を告げた上、右限度に於て、その連帯保証を為す意思の下に、連帯保証人として、右約定書に署名押印したこと、及び右訴外人に対し、右の意思を表示した以上、前記極度額、その他の白地部分は、之を補充し、若くは、補充させる必要はないものと思料して、その補充を為すことなく、白地のまゝで、之を右訴外人に交付したこと。

(6)、然るに、右訴外田中福一郎は、前記の部分が、白地のまゝであることを奇貨として、右の様にして、被告の署名押印を得たものであるに拘らず、之を秘し、恰も、被告が、原告の右訴外会社に申入れた事項を全部了承の上、連帯保証人となることを承諾して、その署名押印を為したものの様にして、右約定書を、原告に提出した為め、原告は、原告の右訴外会社に申入れた事項を、被告が、全部承諾して、連帯保証人となつたものと誤信し、被告の意思を確めること等について、何等の措置をとることなく、そのまゝ、被告が、連帯保証人となつたことを承認し、前記約定書の白地の部分たる極産額の部分に右訴外人をして、前記金額を記入せしめ、その余の白地部分たる日歩及び日附の部分は、原告の係員に於て、之を記入し、因つて、之を、新な約定書として、完成せしめ、以て、之を受理し、之によつて、原告が、右訴外会社に申入れた通りに約定が成立したものと信じ、之に基いて、右訴外会社に対し、その申入の通りの貸付を為したこと。

を認定することが出来る。

証人田中福一郎(第一、二回を通じて)、同西田正純、同磯部実、同松村信一の各証言中、右認定に反する部分は、措信し難く、他に、右認定を動かすに足りる証処はない。

三、右に認定の諸事実によつて、之を観ると、以下に記載の通りに、解することが出来る。

(1)、原告が、本件契約に対し、約定の極度額たる金百七十万円について、連帯保証人を得る意思であつたこと。

(2)、被告が、本件契約に対し、金五万円の限度で、連帯保証を為す意思を有し、且、その限度で、之を為す旨の意思表示を為したものであること。

(3)、而して、右意思表示は、訴外田中福一郎を通じて、原告の許に到達したものであるところ、それが、原告の許に到達したときには、その内容に変更が加へられて居て、前記意思表示とは異なるところの意思表示として、即ち、原告の有した意思と合致するところの、本件契約による約定の極度額たる金百七十万円について、連帯保証を為す旨の意思表示として、原告の許に到達したこと。

(4)、右意思表示の内容の変更は、右訴外人に於て、勝手に、之を為したものであること。

(5)、右訴外人が、前記意思表示の内容を変更するについて、何等の権限をも有しなかつたこと、即ち同訴外人が、被告の代理人ではなく、単なる意思表示の伝達機関換言すれば、単なる使者たるに過ぎなかつたものであること。従つて、前記意思表示は、その内容を変更するについて、何等の権限もないところの、単なる使者たるに過ぎない右訴外人によつて、その内容を変更されて、原告の許に、伝達されたものであると解せられること。

(6)、而して、被告の為した前記意思表示は、本件契約に対し、連帯保証人となる旨の申込であつて、原告は、その申込を承諾したものと解せられるところ、その申込の内容は、前記の通り、変更されて居たのであるから、原告の為した右承諾は、その内容の変更された申込に対して為されたものであると解せられること。

四、右の様に解すると、被告の為した本来の意思表示が、その内容を変更されて、原告の許に到達したことことは、客観的には、その本来の意思表示が、原告の許に、誤伝されたものと解し得られるから、本件の場合は、意思表示の誤伝がある場合であるといふことが出来る。

而して、意思表示の誤伝がある場合は、その本来の意思表示は、未だ、相手方に到達して居ないものであると解するのが相当であるから、その誤伝された意思表示に対する承諾があつても、それは、本来の意思表示に対する承諾とならないこと勿論である。従つて、その様な場合には、未だ、申込も到達して居らず、それに対する承諾もないことになり、意思表示の合致と云ふ状態の発生する余地がないから、契約の成立する余地は全然ないと云はなければならない。故に、本件の場合に於ては、原告主張の連帯保証は、未だ、成立するに至つて居なかつたものであると断ぜざるを得ない。

(意思表示の誤伝の場合は、意思表示の錯誤の場合と区別することを要する。錯誤の場合は、その意思表示に錯誤があるとはいふものの、その表示されたところの意思そのものは、そのまゝの形で、相手方に到達して居るのである。故に、その点については、何等の問題もないのである。問題のある点は、その表示された意思と、表意者の内心の意思とが一致して居らず、而も、そのことを表意者自身が知らなかつたといふ点にあるのである。然るに、誤伝の場合は、内心の意思と、その表示された意思との間には、何等の不合致もなく、問題は、表示されたところの意思が、そのまゝの形では、相手方に到達して居ないといふ点にあるのである。

つまり、錯誤の場合が、専ら、内心の意思と表示された意思との間の関係を問題とするものであるのに対し、誤伝の場合は、専ら、表示された意思の相手方への到達を問題とするものであつて、両者の差異は、この点にあるのである。従つて、誤伝の場合は、錯誤の場合を以て律することの出来ないものである。而して、誤伝の場合は、その本来の意思表示は相手方に到達して居ないのであるから、合意の不成立を招来する。之に反し、錯誤の場合は、合意は、成立し、唯、無効の結果が生ずるだけである。本件の場合が、錯誤でなく、誤伝であることは、前記認定の諸事実に照し、明瞭であると考へられる。)

五、尚、原告が、前記約定書に、被告の署名押印あることによつて、被告が、原告の有する意思と合致する意思を有し、且、之を、右書面によつて、表示したものであると信じて、被告が、本件契約の連帯保証人となることを承諾したものであることは、前記認定の通りであるから、若し、被告の為した、本件契約に対し、連帯保証を為す旨の意思表示が、右書面によつて為されたものであると云ふ特段の事情が存在して居たとすれば、右認定の事実あることによつて、本件連帯保証は、その成立があることになるので、以下に於て、その事情の存否についての判断を示す。

(1)、被告は、その仮定抗弁に於て、被告の為した、本件契約に対し、連帯保証を為す旨の意思表示は、右書面によつて為されたものである旨主張し、原告は、之を争はないのであるが、被告の為して居る右主張は、条件附のそれであつて右連帯保証が成立すると認められることを条件とするものであるから、その連帯保証の成否自体が問題とされて居る間は、その主張は、之を為さないものであることが明白であるから、右の点について当事者に争がなくても、この事実を以て、右連帯保証の成否自体に関する事実関係とすることの出来ないこと勿論である。

(2)、原告と訴外会社及び訴外田中福一郎との間に於て、本件契約及び之に対する連帯保証は、前記約定書によつて、之を為す旨の特約の存したことは、前記認定の事実によつて、之を知ることができるのであるが、被告が、之に関与し、若くは、それを承諾したこと等の事実あることを認め得るに足りる証拠は、全然ないのであるから、右の様な事実があつたからと云つて、被告の為した意思表示が、前記書面による意思表示であるといふことの証左にはならない。従つて、その様な事実があつても、被告の為した右意思表示が、右書面による意思表示であると認めることは出来ない。

(3)、原告と被告との間に於て、本件契約に対する連帯保証は、書面によつてのみ之を為すといふ様な特約の為されたことを認めるに足りる証拠は、全然ないから、その様な特約の為された事実のあることは、之を認めることが出来ない。

(4)、証人磯部実の証言によると、手形取引等に関する契約及びその保証、連帯保証等は、書面によつて、之を為すのが、原告の通常の取扱であると認められるのであるが、それは、単に、事務上の必要によつて、その様にして居るに過ぎないものであることが、同証人の証言の全趣旨によつて、窺はれるので、右の様な取扱が通常為されて居るからと云つて、本件の連帯保証が、書面による意思表示によつて為されなければならないといふことにならないこと勿論である。従つて、右の様な事実があつても、被告の為した前記意思表示が、前記書面による意思表示であると認めることは出来ない。

(5)、被告が、前記書面に署名押印することによつて、前記意思表示を為したといふ様な事実のあることは、之を認めるに足りる証拠がないから、被告の為した右意思表示が、右書面による意思表示であると認定することは出来ない。

(6)、以上の次第であるから、前記の様な特段の事情のあつたことは、之を認めることが出来ない。従つて、被告の為した前記意思表示が、前記書面による意思表示であるといふことは、之を認めることが出来ない。

六、尤も、被告が、白地部分の補充を為すことなくして、前記書面に署名押印し、之を、前記訴外人に交付し、同訴外人が、之を原告に提出したことは、前記認定の通りであるが前記認定の諸事実によると、右書面に被告が署名押印したことは、被告の本来の意思表示ではなく、その本来の意思表示は、口頭を以て、前記認定の通りに為され、右書面への署名押印は、その意思表示を為したことの証明であつたと解せられるから、右書面を原告に提出しただけでは、被告の為した意思表示を原告に伝達したことにならないこと勿論である。故に、その様な事実のあることは、前記の様に解することの妨げとはならない。のみならず、右書面を原告に提出しただけでは、被告の為した本来の意思表示であるところの、口頭で為した意思表示を、原告に伝達したことにならないことは、右の通りであるから、この点から観ても、被告の為した前記意思表示は、原告に到達して居ないと認めることが出来るものである。

七、以上の次第で、原告主張の連帯保証は、未だ、成立するに至つて居なかつたのであるから、その成立して居ることを前提とする原告の本訴請求は、その前提に於て、既に、理由がなく、従つて、爾余の争点についての判断を為すまでもなく、失当として、棄却されることを免れ得ないものである。

八、仍て、爾余の争点についての判断は、之を省略して、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 田中正一)

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